鉄道ファンタジア・名車の系譜@

5000形ものがたり

〜湾岸急行電鉄・新性能車の系譜〜


1:その名『5000形』

1965年2月11日。神奈川県横浜市、金沢文庫の東急車輛製造でその電車は産声を上げた。

それは、爽やかなブルーの塗装に身を包んでいた…。

一見すると伊豆急行100系のようにも思えるが、塗装の塗り分けも違えば顔立ちも僅かに違う。

そしてなにより、この電車は20m・4扉の『通勤型電車』だったのである。

 

…湾岸急行電鉄5000形。

そう名付けられた電車は、新橋〜東大森間の地下線開業に備えて作られた形式である。

そして同時に、民鉄の車両では400両とかなりの一大勢力を築いた形式でもあった。

今特集では、この5000形にスポットを当ててみようと思う。


2:右も左も『ロクサン』だった…

 

この湾急はもともと、大船を起点に路線を延ばしていた『大船電気軌道』が発祥であり、

やがて西湘電気鉄道、神奈川電気鉄道などといった会社と統合を繰り返した後、

『大東急』を経て1948年に独立した鉄道である。

独立当時は第二次大戦の影響で車両の大半以上が焼失しており、輸送状態は決していいとはいえなかった。

そこで国鉄からモハ63系の払い下げを受け、630形として就役させたのである。

確かに20mクラス・4扉は詰め込みが利き、溢れ帰る乗客を捌くにはもってこいだったかもしれない。

しかしながら、高速運転時にガタガタ揺れて乗り心地は悪い。

走行音もうるさく、加速が遅い…というのは旧型車両なのでどうしようもなかったにせよ、

もとが戦時設計の車両だけあって、走る先々で故障が頻発、立ち往生ばかりで『ドン亀』とけなされる始末。

『ロクサン』は所詮『ロクサン』でしかなかったのである。


3:新性能の幕開け…1000形と2000形

 

そんな湾急にも転機が訪れる。カルダン駆動の『新性能車』の登場である。

これは1000形、初の新性能車として1953年に製造された車種であり、

全金属製の車体とともに新性能車の時代を予感させた。

実際導入してみると、初期故障こそ頻発したものの加速は速く、

さらに駅間距離の短い普通列車運用では大活躍を果たした。

この電車の登場に舞い上がってか、湾急は1000形登場の翌年、

特急(当時は座席定員制)および急行用に2000形を新造した。

カルダン駆動はそれまでの吊り掛け駆動に比べると台車や軌道への負担が少なく、

走行音も比較的小さいものであった。

 

ともあれ、新性能化の土台は踏み固められたといったところである。


4:3000形の悲哀…地震電車と呼ばれて

 

しかしながら、1000形・2000形は17m級であり、性能的に優れてはいたものの、

如何せん収容力が不足しがちだった。

そこで次に求めたものは『大型新性能通勤電車』であった。

1959年登場の3000形がそれである。

駆動方式は平行カルダン駆動となり、車体は20m級・片側4扉の大型通勤車両であった。

 

ところが導入してみると本来のスペックの良さを生かしきれず、寧ろ悪い面ばかりが目立つようになった。

コストダウンのために台車等を簡素な構造にした結果、1000・2000形に比べて揺れが激しい。

また駆動装置についてもコストダウンのためか平歯車が使われており、

本来ならば直角カルダン駆動の1000・2000形に比べて静かになるはずが、

余計にうるさくなってしまった。

さらに、この世代の抵抗制御車両特有の現象として、

加速時の抵抗段切り替えに伴って車両が揺れるという欠点があった。

これに前述のような構造の簡素化が折り重なって、結果的にロクサン並に乗り心地の悪いものとなってしまった。

こうして3000形は『地震電車』の蔑称をつけられてしまったのである。


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