インチキ鉄道(ぺけ)ファイル

第1回

薄幸の電車特急

〜国鉄487系のはなし〜


1976年、それは北陸路に唐突として現れた…。その名は487系。

かの有名な591系のデータをもとに製造された12両編成の特急電車は、

当初は東北本線に投入される予定が新幹線の開通が決定したことで、

急遽羽越・北陸本線の特急としてデビューを飾ることとなった。

編成はA+B+Cの4つのユニットからなり、

1つのユニットは4車体ずつの連接構造となっていた。

 

Aユニット(クハ486+モハ486+モハ487+サハ487)

Bユニット(サハシ487+モハ486+モハ487+サロ487)

Cユニット(サハ486+モハ486+モハ487+クハ487)

本来は全車体を連接方式にして曲線通過性能の向上を図るという計画だったようだが、

保守サイドからすれば検査が大変であるためユニットごとに切り離せる構造としたのである。

 

しかし連接方式の車両は国鉄ではあまり実用例がなく、

いくらユニットに分割できるとはいってもその複雑な列車構造ゆえ

保守サイドからは大変な嫌われようだったと聞く。

 

また全面形状ものちに登場する201系に似ている独特なものであったが、

そのせいだろうか、どこか「特急らしさ」「特急の華やかさ」をスポイルしてしまった感があり、

国鉄電車特急の中ではかなり地味な車両だったようだ。

事実、3編成36両で487系の製造は終わっている。

 

結局、ランニングコストばかりがかかる車両はいらないと判断されたためか、

1983年には早くも2編成が姿を消し、残った2編成もA+Cユニットの8車体連接に減車されて、

波動輸送用へと身を落としたのである。

 

1987年にはJR東海に継承され、おもに中京地区などでイベント列車に活躍していたが、

その使い勝手の悪さは相変わらずで、1990年には最終配置だった大垣電車区内でひっそりと解体されてしまった。


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