インチキ鉄道X(ぺけ)ファイル
第7回
ニッケル鉄道からトロッコ列車へ
〜上武鉄道2006〜
本庄駅。
朝夕は通勤客が押し寄せ、高崎線に次々と乗り込んでいくこの駅。
その一番南側、5番ホームにお目当ての列車は止まっていた。
上武鉄道の保有するトロッコ列車、その名も「せせらぎかんな号」。
もとJR東日本の50系客車3両編成をJR東日本大宮工場で1999年に改造、
整備の上投入されたご自慢の列車であり、上武鉄道の顔というべき存在だ。
今回はこのトロッコ列車に乗り込み、上武鉄道の旅を楽しんでいただこう。
そもそも上武鉄道とはどんな鉄道なのか。
上武鉄道、その社名を聞いて「あ、秩父鉄道のことだな…」と答える人は少なくないだろう。
しかし実はもう一つの上武鉄道が存在したのだ。
もともとは戦時中に日本ニッケルが若泉製鋼所の専用鉄道として建設した路線であるが、
戦争が終わってみると軍需物資に頼りきりだった路線は需要が落ち込んでしまった。
そこで旅客輸送を開始し、1960年に上武鉄道と名を改めた。
当時は、神流川(かんながわ)に下久保ダム建設が行なわれており、
その建設用の資材を運ぶ路線として下久保〜若泉間が開通した。
この時点で開通した若泉駅は西武化学前よりもやや東側に位置していた。
やがて1968年にダム建設が終わると建設専用線として敷設された区間については観光鉄道とする計画が持ち上がったものの、
「本数の少ない八高線との接続では観光需要が見込めない」として、高崎線に接続させるべく丹荘〜本庄間を1971年に開通させた。
観光シーズンには上野駅発着のキハ58系使用の臨時急行がしばしば乗り入れるなど、
賑わいを見せていた路線であった。
さて、次にトロッコ列車「せせらぎかんな号」について説明しよう。
「せせらぎかんな号」は3両編成。
うち2両がオープン構造のいわゆる「トロッコ車両」であり、残り1両は控車となっている。
牽引機はJR東日本から購入したDE10だが、
この列車の運転開始時には、本庄駅構内はすでに機回し設備が撤去されていた。
貨物輸送が1986年に廃止されたためにヤードを使う必要がないと判断されたためだ。
このため、編成の神流湖(かんなこ)側の客車には運転台がつき、
神流湖行きの列車の場合客車3両をDE10で推して進む形になるのだ。
ちょうど、JR北海道の「ノロッコ号」のような形態であると言えばわかりやすいだろう。
列車は最初の停車駅、七本木駅に到着した。
反対側のホームには2000年に投入された新潟トランシス製のレールバス、
JB2000型が停まっていた。
2006年現在、上武鉄道で運転される列車はトロッコ列車を除けばすべてが気動車である。
通常、気動車は単行で運転される場合が殆んどだが、
朝・夕のラッシュ時あるいは観光シーズンには併結運転も見られ、
最大3両編成を目にすることが出来る。
本庄〜丹荘間あるいは本庄〜渡瀬間には区間列車もあり、単線ながらそこそこ本数は多い。
このレールバスの導入の経緯には、
上武の筆頭株主である西武鉄道の関連会社であった西武バスが日産ディーゼル製のバスを導入していたと言う背景がある。
というのも、日産ディーゼルはかつて、西武鉄道の保有する球団「西武ライオンズ」の後援企業だったのである。
これに関連して日産ディーゼルと提携を結んでいた富士重工からLE-Carを投入したのがきっかけとなっている。
なお、イラストのJB85型は1985年登場だが、流石にバスの部品を多用した車体は老朽化が激しく、
2003年にはJB2000型に置き換えられ形式消滅してしまった。
ちなみに車体色だが、緑色と青色は西武の「ライオンズブルー」と「ライオンズグリーン」であるが、
これに残る1色は「水色」という独特のカラーとなっている。
広報部によれば、沿線を流れる神流川にちなんで水色を採用したのだそうだ。
トロッコ列車は次の停車駅である丹荘で再びレールバスとすれ違った。
1996年登場のJB96型である。
JB96型は18mクラスの富士重工製LE-DCで、8両が在籍する。
この日はどうやら2両編成だったようだ。
丹荘を出ると渡瀬、上州鬼石、満福寺と停車していく。
ここからは神流川沿いに勾配を上っていくのだが、
それに伴い上武鉄道の路線も観光路線ムードが満点になってきた。
頬にいっぱいの風を受けて、トロッコ列車は神流川沿いを登ってゆく。
「えー、まもなく、神流湖〜、神流湖〜、終点です。車内にお忘れ物、落し物なさいませんようご注意ください…」
車掌の元気な声が響き、列車は速度を落としていく。終点の神流湖に到着だ。
この日のトロッコ列車の乗客は殆んどの人が大きな荷物を抱えている。どうやらバス釣り客のようだ。
神流湖駅はログハウス風の駅舎で、まさに観光客のための駅といった感じである。
ふと見ると、かつて貨物列車の最後尾に連結されていたハフ3が、キハ2404とともに構内に佇んでいた。
残念ながらもう走ることはないが、地元の有志によって整備され、状態はかなり良好だ。
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