甲武電鉄630系旧性能電車

大型化に貢献した甲武のロクサン

630系は国鉄63系(のちの72・73系)とほぼ同じ形態をもつ車輌として1947年から投入された電車で、

甲武電鉄としては初めて20m級の車輌となり、また同じく初の4扉通勤電車であった。

特筆すべきは、私鉄の「ロクサン」としては珍しく24両すべてが国鉄番号をもっていないという点で、

これは最初の8両が国鉄籍を与えられる前に運輸省から直接導入されたこと、さらに半数以上が国鉄から譲り受けられた戦災車輌の復旧名義で、

大枠の流用ならびに63系同等の車体を多摩平工場で仕上げて出場したためである。

総数はモハ16両、クハ12両で28両となっていた。

 

この電車、入線した当時こそボロボロの63系そのもので、それは酷いものだった(もっとも、戦後の製造なので座席はドア間全体に設置)が、

あまりに状態が悪かったために1950年ごろから早くも車体更新が始まり、

側窓は3段から2段に、貫通路はホロ付き・引き戸になり、1951年の桜木町事故をうけて真っ先に全車両の絶縁対策に悪戦苦闘したりと、

まさに波乱の幕開けといった様子のこの電車だが、大きな車体のロクサンは甲武近代化の足がかりとなり、

のちの2000系を筆頭とする大型通勤電車のはしりとなったことは言うまでもなく、その功績は大きいといえる。

ほぼ同時期に入ってきた運輸省規格型や17m国電とともに、戦後の甲武を支えてきた立役者といっていいだろう。

 

1956年からはアルペンブルー塗装となり、また1963年ごろから、更なる車体更新(俗に第2次更新)が施され、

本家の72系全金車を彷彿とさせるノーシル・ノーヘッダーの軽快なスタイルとなって、

甲武のロクサンは「粗末な電車」から「電車らしい電車」へと大変貌を遂げたのである。

 

渋谷〜大月間の都市部を中心に走り続けてきたロクサンであったが、

高性能電車の投入が進むと追いやられ、最終的には立川線や調布線などの都市内ローカルで活躍するようになった。

もっとも車体が大型であるためほかの吊り掛け車輌に比べて廃車時期は遅く、全廃がなったのは1988年のことであった。

 

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