インチキ鉄道X(ぺけ)ファイル
第8回
常陸の国の海岸電車
〜茨城交通・水浜線2006〜
茨城県の中心地・水戸市。その中核をなす水戸駅から今回の主役、水浜線の旅が始まる。
水浜線ホームは水戸駅のもっとも北側にある。かつては路面電車で、駅前の電停に発着していたが、
1965年には水戸駅の配線を大規模に改良して直接乗り付けられるようになった。
発車番線はJRとは別で茨城交通用に1〜4番線までが割り当てられている。
このうち大洗方面は3・4番線で、目指すホームの先には1200系が待ち構えていた。
この車両はもともと、静岡県内最大手にして全国第4の規模をもつ大手私鉄の駿遠急行から払い下げられたもので、
駿急では1000系を名乗っていた。18mクラス・ステンレス製の車体は東急7200系に似るが、
車体長が短かったり、前面が非貫通であったりと相違点も多い。
水浜線は2両編成、すぐさま先頭のクハ1301号に乗り込んだ。
やがて発車ベルが鳴り、電車はゆっくりと動き出す。
水戸駅を出て暫くしたところで電車は急に動きを止める。
と、眼前には国道51号が迫っているではないか。よく見ると線路は国道の上に延びているようだ。
実を言えば、水戸〜常陸浜田間は併用軌道なのだ。
この途中にある停留所もまた、変わった形となっている。車両に合わせてホームが嵩上げされているのだ。
道路の中央に普通の鉄道と同じような形のホームがあり、交通量の多い国道であるから、ホームへは歩道橋が延びている。
近年のバリアフリー政策も手伝って、歩道橋が全てエレベータ完備である点も注目すべきポイントだ。
電車は本三丁目電停を出るとそれまで走ってきた国道の上を離れて専用軌道に入る。
専用軌道に入れば速度制限もないので、グングンとスピードを上げて走っていく。
と、まもなく常陸浜田駅が迫ってきた。常陸浜田は水浜線の車庫がある駅で、多くの車両を目にすることができる。
浜田工場には、もと小田急電鉄2220形である600系が留置されていた。
いうまでもなく小田急が世に送り出した傑作車両であるが、1983年の入線に際して排障器取り付け・冷房化が行なわれた。
当初は小田急カラーのままであったが、1989年から現在の茨交カラーとなっている。
が、潮風を浴びたせいか車体の傷みは酷く、残存するのは僅かに3編成のみで、
2007年度には全廃が予定されているという。
さらに奥手には純然たる駿急生まれの名車700系が佇んでいた。
1989年の入線当時、水浜線の架線電圧はまだ直流600Vであったが、
もともと複電圧回路を搭載した車両であったため、特に電気的な改造をされることなく運用に就いた。
なお水浜線の架線電圧は1992年から直流1500Vへ昇圧されている。
電車は常陸浜田を後にし、一気に大洗を目指しスピードを上げていく。
途中の磯浜町までは複線区間であり、最高速度は85km/h。
各駅停車ではあるものの、スピードアップによって路面電車時代に比べ客足は上昇傾向にある。
電車は鹿島臨海鉄道の下をくぐると、磯浜町駅に到着する。ここで複線区間は終わり、電車は単線区間に入っていく。
ここまで来ると、いよいよローカル私鉄のムードを醸し出すようになってきた。
とくにこの曲松駅は当時堂々たるモダン建築と謳われ、路面電車にしては立派な駅舎として鉄道ファンの注目を大いに集めていた。
車両が大型化されてからも、ドラマの撮影などでよく使われており、また「関東の駅百選」にも選定されるほどの人気の駅だ。
曲松駅でそれまで乗っていた1200系を見送り、昼食をとっていると、反対側から水戸行きの電車がやってきた。
あのパノラミックウィンドウに独特のホロ受け、それに裾を絞った車体を誰が見間違えるだろう。
まぎれもなくそれは京王帝都電鉄(のちの京王電鉄)において名車中の名車と謳われた5000系だった。
水浜線では1000系を名乗っており、老朽化していた旧性能車を置き換えるべく登場したものだが、
入線に際してはゲージの違いを克服すべく京武電鉄2000系の足回りを流用している。
ちょうど、水戸側からも1000系がやって来たのでそれに乗ることにした。
電車は、東光台を過ぎると海岸沿いに進んでいく。
とくに中川越えの海門橋は鉄道道路併用橋として有名である。
かつては名古屋鉄道の犬山橋も存在したが、道路橋が新たに設置されたことで鉄道専用となり、
今となってはこの海門橋くらいのものだろう。
海門橋を渡って暫くすると電車は大きく左にカーブして終点の那珂湊駅に到着する。
ここでは、同じ茨城交通の運営する湊線の気動車が顔をあわせ、さらに数本の電車が待機するため、
とくに車輌派のファンの間では注目のスポットとなっているようだ。
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||