インチキ鉄道(ぺけ)ファイル

第3回

筑波の高速電車たち

〜もし『つくばエクスプレス』がもっと早く開通していたら〜


東京、下町。浅草と呼ばれる町の地下にその駅はあった。

東磐(とうばん)電鉄、東磐浅草駅。

「まもなく1番線から、特急筑波根行きが発車いたします…」

ホームに停車している3500系は2001年登場。8両編成の最新鋭特急車両で、中央の2両はダブルデッカー、指定席となっている。

スマートな流線型の前頭部は、これぞ特急車といった出で立ちだが、

よく見るとパンタグラフの周りにはどこか物々しい機器類が沢山並んでいる。

そう、現在東磐線の電車はすべて交直両用車なのだ。

東磐初の交直両用車は、1975年に登場した、この1000系である。

そもそも東京〜筑波間を走る鉄道は、1930年代に筑波高速度電気鉄道と呼ばれる路線が計画されていたのだが、

当時はまだ交流電化の技術が発達しておらず、また既に柿岡に地磁気研究所が完成していたため、

計画途上で廃止されてしまったというものである。

 

本格的に建設がはじまったのは終戦直後の1945年で、東武鉄道などが出資した鉄道会社としてのスタートであった。

まずは1953年に東磐浅草〜東磐三郷間が開業し、その後1964年には守谷までが開業、

そして1975年に私鉄では例のない交流電化という形で守谷〜つくば〜土浦間および

東磐伊奈〜筑波根間が開通した。

 

さて東磐電鉄の車両形式の付番法則はほかの私鉄とは違った独特のものとなっている。

3500系を例にあげてみよう。

3581-1

まず千位と百位で形式・系列を示し、

十位で編成両数を、一位で土浦側からの連結位置を表している。

そのあとにハイフンを付け、編成番号を振るという方式で、この法則により上記の3581-1は、

「3500系第1編成(8両固定)における土浦側先頭車両」ということになる。

参考までに今回乗車した3500系の編成を紹介しておく。赤文字で示した車両が指定席車である。

←筑波根・土浦                                                   東磐浅草→

モハ3581-1 モハ3582-1 モハ3583-1 サハ3584-1 サハ3585-1 モハ3586-1 モハ3587-1 モハ3588-1

これは1500系、1985年に登場した車両である。性能面では1000系と大差はないものの、

車体形状が大きく変わっており、よりスマートな感じになった。

6両(1560番台)・4両(1540番台)・2両(1520番台)の固定編成があり、ラッシュ時は最大10両編成で急行運用に就くこともある。

1000系・1500系ともに3ドア・セミクロスシートであったが、

沿線人口増加に伴い1985年増備車から車端部を除いてオールロングシートとなった。

この1500系増備車の室内レイアウトは1996年登場の2000系にも尾を引く。

2000系にもやはり6両(2060番台)・4両(2040番台)・2両(2020番台)の固定編成が存在し、

ブレーキ自動読み替え装置を搭載しているため、1000・1500系との併結も可能である。

ちなみにこのローズピンクとグリーンのラインが入るカラーリングは、1500系登場と同時に採用されたもので、

ピンクは筑波山麓のレンゲを、グリーンは筑波山の木々をイメージしたものとなっている。

一部座席指定制の特急が運転を開始したのは1988年からで、

初の特急用車両は3000系を名乗っていた。指定席車両は眺望性と着席率向上のためダブルデッカー構造となり、

その関係で特急用車両は8両固定編成で製造されている。

特急用車両は指定席車は2ドア・回転式リクライニングシート、一般席車は3ドア・転換クロスシートで、

指定席車でなければ通常の切符だけで乗れるため利用客にはかなり好評である。


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