鉄道ファンタジア・名車の系譜@

5000形ものがたり

〜湾岸急行電鉄・新性能車の系譜〜


8:涼しい電車を…冷房車と新カラーリングの登場

クハ5130(5130F×6R)

こうして優秀な結果を出した5000形であったが、ここで新たな変化が起こる。

1970年代になると鉄道車両、とくに大都市圏の車両では冷房を設置した車両が次々と誕生したのだ。

 

無論湾急もこれに乗り遅れるわけにはいくまいと、旅客車の冷房化を推進すべく、

1976年に試作編成として5121F(6連)を冷房化改造のうえ試験を行った。

涼しい電車の登場は大きな反響を呼び、翌年にはすぐさま量産が行なわれることとなった。

 

イラストはクハ5130ほか6連で、当初より冷房を装備した車両である。

車体のカラーリングに注目していただきたい。これは同編成登場の翌年といえる1978年から採用されたもので、

クリスタルホワイトを基調に幕板および腰板にスカイブルーの帯が配されていた。

この塗装は沿線の鉄道ファンに「クリームソーダ」と呼ばれ人気があった。

 

1985年にはすべての5000形が冷房化されている。


9:悲運の兄弟車7000形

 

ところで、5000形には兄弟車が存在することをご存知であろうか。

ステンレスカー7000形である。

性能は5000形とほぼ同一で、実質的には「5000形ステンレス車」といえるものだった。

ともかく、青い電車ばかりの湾急に突然現れた銀色の電車はファンをあっと驚かせた。

クハ7101(7101F・登場時)

このステンレスカー7000形は、1969年に登場した名車であった東京急行電鉄8000系を基本としつつ、

独自のアイデンティティを織り込んで設計された車両であった。

だがこの車両は、悲運の通勤電車でもあった。

 

一体何故なのか。

性能面では5000形を踏襲しており、乗り心地も静かで申し分ない。

当初より冷房搭載であり乗客には好評だった。

にもかかわらず少数生産で打ち切られた理由、それは…

「値段が高すぎた」のである。

 

当時はステンレス車体を製造できるメーカーがまだ少なく、専ら東急車輛製造の独占に近い状態であった。

このため、否応にもステンレス車両は導入コストが高くなっていた。

にもかかわらず湾急側は「車体幅は広い方がラッシュに対応しやすい」として広幅裾絞り車体で発注を行なった。

これがいけなかった。ただでさえ高価なステンレス車体で裾絞りなどという大変なことをするのだから、

製造コストは大きく膨れ上がり、結果的に導入コストが大幅に上がってしまった。

 

結局登場から僅か2年で製造は打ち切られ、7000形自体は54両という少数勢力にとどまった。

しかし、7000形を広義の5000形に含めれば、5000形は450両を突破した形式と言えるのもまた事実である。


10:更新車の登場、しかし…

 

5000形は、その400両という数字が示すとおり信頼性も高く、汎用性に優れた車両であった。

しかし1980年代に入るとさすがに見た目にも陳腐化が進んできた。

そこで湾急は8000形電車の投入を行なったが、同時に5000形の体質改善を進めることとなったのである。

クハ5730(5730F×4R)

主な改造点は以下のとおりである。

●戸袋部の腐食対策として、戸袋窓を閉塞する。

●車体の腐食対策として、一部部材をステンレス鋼へ変更する。

●前面形状についても変更し、「見た目の古さ」から脱却する。

 

こうして1985年10月16日、まず5126F×6連が平塚工場で改造された。

前面は一転して額縁形となり、角型ライトケースを窓下に配置し、

前面窓と表示幕を一体化させたそのスタイルはまさに見違えるほどだった。

クハ5738(5738F×4R)

さらに1991年度更新分からは、前面貫通扉部分の窓ガラスが大型になるなど、僅かながら変更点が見られるようになった。

また一部は上図のように8両固定編成化されて5050形を名乗るなど、

近年の運用形態変化に伴って車両形態にも変化が見られるようになってきた。

ED5504に牽引され廃車回送される5117F

しかし2005年現在、最新鋭形式である2000形車両の投入が進んでおり、

経年の古い車両から廃車が進行している。

それでもなお、現在300両あまりが健在の5000形。

登場から40年、湾急の歴史を支えてきた名車は、

今日も元気に走り続けている…。


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