鉄道ファンタジア・名車の系譜@
5000形ものがたり
〜湾岸急行電鉄・新性能車の系譜〜
5:汚名返上…5000形の登場
かくて、『地震電車』の汚名を返上すべく新型通勤電車の開発がはじまった。
乗り心地が悪いと散々叩かれて、開発陣としても黙ってはいられなかったのだろう。
新形式の開発は、まさに執念というべきものであった。
台車は揺れ枕装置や軸箱を中心に改良を加え、出来るだけ衝撃を吸収できる構造とした。
また制御方式は抵抗バーニア制御を採用、駆動方式も一新されてスムーズで静かな乗り心地を追求した。
また前方視認性の向上に対応して運転台は高い位置に置かれ、
翌1966年に控えた地下線への乗り入れに備えATCを搭載するなど、
持てるだけのノウハウをつぎ込んで設計されたのが5000形であったのだ。
この件に関連して、かつて5000形の設計担当者だった人物はこう語っている。
「製造コストをケチって粗末な車両を造るより、多少カネはかかっても乗客に喜ばれる車両を造りたい。
もうそれだけでしたね、頭の中はそのことでいっぱいだったわけですよ。
京急や国鉄に負けたくないって言うのもあったんでしょうけど、
僕としては乗り心地のいい電車を造りたかった。それだけのことです」
6:新型特急LE0形と俊足急行6000形の誕生
さて、この5000形の成功は湾急の車両に新性能化の波をもたらしたわけだが、
その波は通勤型にとどまらず、優等列車にまで大きく波及していくこととなった。
まずは1966年、初の特急専用電車であるLE0形(当時は単に『LE形』と呼ばれていた)が誕生した。
5000形の基本システムをベースに歯車比や台車等に改良を加え、主電動機も騒音を低減できるように改良が加えられた。
この特急電車はそれまでの湾急のイメージを覆すベージュとチョコレートブラウンのツートンカラーで、
ゆったりとした室内、優れた静粛性とあいまって利用者を感動せしめた。
続く1967年には5000形の急行バージョンとも呼べる6000形が誕生。
先のLE0形で初めて採用された空気ばね台車を履き、
停車駅が特急に比べ多く、なおかつ普通系統よりも少ないため、歯車比を変更してデビューした。
側面にズラリと並んだ幅1300mmの大窓とともに、急行型の主力としての地位を確立していったのであった。
この2形式を生み出すきっかけになったのは5000形であったが、
また5000形もこの2形式の登場で更なる改良が加えられることとなるのである。
7:そして一大勢力へ
この5000形導入の成果は上々だった。
静かで乗り心地のいいブルーの新型電車は確かに乗客には人気があった。
しかし開発陣は乗り心地の追求を諦めなかった。
それどころか、更なる乗り心地向上に向けて動き出したのである。
こうして1967年12月3日、LE0形で実績のあった空気ばね台車を採用するなどの改良を加え、
2次量産車(5123〜5623)が東急車輛製造より出場した。
外観上のポイントとしては、側面に電動式方向幕が新たに追加されており、
のちに1次車や3000形にも取り付けられることとなった。
ともかく、こうした設計変更や小改良を繰り返しつつ、5000形は次々と車両数を増やしていき、
のちに400両という一大勢力を気付くことになるのである。
いかに5000形が優秀な車両であったかお分かりいただけよう。
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